日本語の乱れについて

面白い記事があった。

http://d.hatena.ne.jp/filinion/20080831/1220180568

要するに、外来語しか、パピプペポがつく単語がないのは、
そもそも平安時代にはハヒフヘホの表記でパピプペポと読んでいたらしい。

つまり、 てふてふ=>ちょうちょうと読むみたいな感覚か。

その次の時代は、 ハヒフヘホの表記で、
ふぁふぃふふぇふぉと呼んだらしい。
平家物語はふぇいくぇものがたりか。
なんとなく、力が抜ける物語になった。

となると、日本は、にほんではなくて、にっぽんが正しくなるという話。

日本語の言葉の違いについて、最近の言葉が乱れているとかよく言われているが、
これに違和感を感じたのは、ずいぶん昔。チョベリバとかいう言葉がはやったときである。

そのときは、高校生か。柳田国男の方言周圏論についての知識を得ていたので、
なぜ、これがだめなのかがわからなかった。
高校生的には、「じゃあ、古文でしゃべっているやつはいるのか?」とか思っていた。

たぶん、気持ち的には、淘汰される人は淘汰されないために、
新しい文化や概念について極端に怯え排除しようとするのだろう。

ただ、効率だけで考えていても必ずしもよいわけではないことも、
最近実感している。

以前、携帯のメールなんて、一本の指しか使えないため、
パソコンのメールの方が、10本すべて使えるため、効率的である。
これは10倍以上の効果を生むだろう。なんて、考えてた。
今でも変わらない。
でも、携帯のほうがよい場合もある。

で、さらに、いつも音声チャットばかりなのに、
昨日、チャットを久しぶりにしたが、それはそれでよかった。
なぜかについて考えてもわからないが、体でそう感じたのだから、
しかたがない。

原田宗典が言っていたが、
やはり日本語というものは、言葉ひとつでだいぶと印象が違うのである。

レレレのおじさんも、レレレとレが三つつながっているからこそお茶目な印象を与えるのである。
これが
レのおじさんでも、レレのおじさんでもいけない。
レがひとつや二つでは、まだまだ茶目っ気が足りないのである。
二つは二つでもレレーのおじさんは、少しがんばっている印象を与えるのでよい。

これをレレレレと四つつけてみよう。そしたら、

レレレレのおじさん。

だいぶとそそっかしそうになったが、茶目っ気は失われてしまった。
もう、ここまでくると、どんくさいという印象を与えてしまう。
どちらかというと、レレレレ?と疑問符を打ちたくなってくる。

でも、レレレよりも、もう一段階、もう一歩、もうひとふんばりかわいく見せようとした
努力のあとが、レレレのレ〜なのである。

これはもう、間違いなく、お茶目なかわいいおじさんの完成である。